らせん式日記・22 響きの宇宙 風の曳航
2005年 08月 04日
7月31日、打楽器奏者・長屋和哉さんのライブ「響きの宇宙 風の曳航」(東京・青山の銕仙会能楽研修所)に行ってきました。今回は、モンゴルからチベット仏教僧6名が来日。彼らの読経とのコラボでした。
最初に若い僧侶のひとりが、舞台で読経の声を発したとき、その声の深みに私は思わず息を呑みました。こんな厚みのある声は、未だ聴いたことのないと・・・。声楽のコンサートやオペラにもたくさん行ったけれど、声楽家の声の美しさとは対極にある何かが、その僧侶の声にはこもっているような気がして。
90年代初頭まで共産主義であったモンゴルでは、たくさんの仏教僧が虐殺されてきたといいます。そしてその体制が瓦解したのち、失われた70年間を取り戻すべく僧侶たちは活動を始めたとのこと。今回来日した若い僧侶たち(20代~30代)はその旗手でもあるのでしょう。ひとりひとりの無垢な表情には、ひとつのことにひたむきに取り組んできたその足跡を感じずにはおれませんでした。
そんな彼らと、長屋さんのアジアの打楽器によるコラボ。重厚な読経の声と鐘やゴングの音が混じり合って、なにか深遠なエネルギー磁場を作り出しているようでもありました。それが何だったかはよくわからないのだけれど、その磁場に身を置いていることが、ただただとても心地よく感じられるのでした。
* * *
私が長屋さんの音に初めて出合ったのは、およそ5年前。その魂に響くような音に、私は深い衝撃を受けました。まるで自分の奥深くに眠っている感覚が呼び覚まされるような感じで。 それから1年後ぐらいに、三鷹のあるギャラリーで彼自身にお会いしたとき、いつか彼に水戸で演奏してもらいたいなあと強く感じました。あれからだいぶ時がたったけれど、来年あたりにその夢が実現したらいいなあと思っています。
最初に若い僧侶のひとりが、舞台で読経の声を発したとき、その声の深みに私は思わず息を呑みました。こんな厚みのある声は、未だ聴いたことのないと・・・。声楽のコンサートやオペラにもたくさん行ったけれど、声楽家の声の美しさとは対極にある何かが、その僧侶の声にはこもっているような気がして。
90年代初頭まで共産主義であったモンゴルでは、たくさんの仏教僧が虐殺されてきたといいます。そしてその体制が瓦解したのち、失われた70年間を取り戻すべく僧侶たちは活動を始めたとのこと。今回来日した若い僧侶たち(20代~30代)はその旗手でもあるのでしょう。ひとりひとりの無垢な表情には、ひとつのことにひたむきに取り組んできたその足跡を感じずにはおれませんでした。
そんな彼らと、長屋さんのアジアの打楽器によるコラボ。重厚な読経の声と鐘やゴングの音が混じり合って、なにか深遠なエネルギー磁場を作り出しているようでもありました。それが何だったかはよくわからないのだけれど、その磁場に身を置いていることが、ただただとても心地よく感じられるのでした。
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私が長屋さんの音に初めて出合ったのは、およそ5年前。その魂に響くような音に、私は深い衝撃を受けました。まるで自分の奥深くに眠っている感覚が呼び覚まされるような感じで。 それから1年後ぐらいに、三鷹のあるギャラリーで彼自身にお会いしたとき、いつか彼に水戸で演奏してもらいたいなあと強く感じました。あれからだいぶ時がたったけれど、来年あたりにその夢が実現したらいいなあと思っています。
by emispiral
| 2005-08-04 11:54
| らせん式日記