らせん式日記・93  日本文学をちゃんと網羅したい

 この思いはいつのころからか、ずうっと私の心の中で通奏低音みたいに存在しています。でも、古事記や日本書紀に始まって現代文学に至るまで、その主だったものをみんな読破するのには、ものすごい時間が必要。「一日中読書する」というシチュエーションにとてもあこがれるけれど、そんな日はめったに巡って来ない・・・。

 だからちょっとずつ、ご縁のあった作家や作品に触れていくしかないのだなあと自分に言い聞かせてはいるものの、でもその一方で、死ぬまでにどれぐらい読めるんだろうかと焦ったりもする。やっぱり私は欲が深いのだろうと思います。(笑)

 さて、先月は何周目かの宮沢賢治。その前は、夏目漱石で、その少し前に向田邦子。私は一定期間集中して、あるテーマや作家に関することを追いかけるタイプです。(そのほかのジャンルで並行して呼んでいる本は常に5冊ぐらいはあるのだけれど。)

 で、今はというと、高村光太郎と智恵子。どの作家に興味がいくかというのは、いつもちょっとしたきっかけがある感じなのですが、今回は、昭和の初めに光太郎が精神を病んだ智恵子を連れて宿泊したという、とある温泉の旅館に最近泊まったことから。これまでは、「『道程』と『智恵子抄』を書いた詩人&彫刻家」という上っ面な意識しかなかったけれど、今は2人のことがとても知りたい気持ち。2つの図書館を渡り歩いて、4冊の本を借りてきました。今さらながら、『智恵子抄』も買いました。ちゃんと深く読んでいなかったから。
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 そうしたら、驚いたことに20代の頃に深くかみしめた4編の詩との再会がありました。その詩の存在をもうすっかり忘れていたから、とてもうれしい出合い直しでした。当時の自分を想像しながら、今の自分でもう一度味わうということを楽しんでいます。

 次はどんな作家かなあ?気になる人はたくさんいるけれど、どの人に入っていくかは私にも分からない。そろそろ『枕草子』や『武士道』もちゃんと読まないとと頭で思っても、やっぱり心がついていかないとだめなのです。そんな気まぐれな感じで、日本文学を少しずつ網羅していけるものなのか???と、はなはだ疑問に思いますが、とにかく夢中になっている時間は楽しいので、結局は「まあ、いいか」というところにいつも落ち着くのでした。
by emispiral | 2007-09-15 00:16 | らせん式日記

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