水戸 恵藍舎だより


by emispiral

水戸藩歴史散歩・8 藤内神社と源義家

 「藤内神社のフジ」という碑が、飯富地区(藤井町)にはあります。先日写真を載せた、彼岸花のある場所のすぐ脇です。
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 ここは、源義家(八幡太郎義家とも。源頼朝の曽々祖父)が、前九年の役で苦戦する父(陸奥守・頼義)の援護へ行く途中、立ち寄ったとされる場所です。 そしてその向かいにあるのが藤内神社。ここで義家は戦勝祈願をし、フジの枝を取って鞭としたとか。
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 このとき10万の兵士を休ませた場所は、その後「十万原」と呼ばれました。私が住んでいるのは、この十万原に造成されたニュータウンです。藤井町内の十万原地区ということから、「藤が原」という地名が生まれました。

 義家が奥州に向かったのは奥州藤原氏の祖である安部氏を倒すためでした。その途中で立ち寄った地が、現在は「藤が原」と呼ばれているとは、なんとも歴史の皮肉という感じがします。
 またそののちに起きた後三年の役において、義家は初代奥州藤原氏となる藤原清衡を援護し、勝利に導きます。義家と藤原氏・藤内神社のフジ・藤が原・・・こじつけだけど、私はおもしろい繋がりだなあと思っています。

 それにしてもよく言われる「奥州征伐」という言葉、どう考えてもひどいです。前九年の役は、勢力を拡大したいという源氏の私欲からの戦です。奥州では安倍氏と後の藤原氏の統治の下、とても平和で豊かな国づくりがされていたのに、源氏はわざと火種を起こして攻め入り、結局平安末期にはみな滅ぼしてしまいました。私は蝦夷・安倍氏・奥州藤原氏に思い入れがあるので、どうしても「征伐」とか「平定」という言葉には、やるかたない感じがしてしまいます。歴史はおおむね権力者の視点からのみ語られているのだから、仕方がないのですけれどね。
by emispiral | 2007-10-18 11:36 | 水戸藩歴史散歩