水戸 恵藍舎だより


by emispiral

カテゴリ:インドネシア語( 17 )

 先日、いつもインドネシア語講座でお世話になっている水戸中央教会で、大洗ベツレヘム教会(インドネシアの方々の教会)との合同礼拝があり、クリスチャンではない私も参加させていただきました。

 水戸中央教会の山本牧師先生はインドネシア語講座の主催者かつ受講者であり、この日すばらしい翻訳を披露されていました。また大洗ベツレヘム教会のタンゲル牧師先生は、ネイティブスピーカーとして毎週講座を手伝ってくださっています。

 これまでにも礼拝には何度かうかがったことがありますが、水戸中央教会は家族的であたたかい雰囲気をもった教会です。きっとこれまで牧師先生と会員のみなさんで積み重ねてきた歴史の賜物なんだろうな・・・と思います。

 今回の合同礼拝には、大洗近辺在住のインドネシアの方々がたくさんお見えになっていて、礼拝の間に美しい賛美歌のコーラスを何曲も聞かせてくださいました。ハーモニーがとってもきれいで、まるで心が洗われるようでしたよ。一口に礼拝いっても、いろんなスタイルがあるようで、なかでもインドネシアのプロテスタント教会のようにたくさんの歌に彩られた礼拝は、歌声に心がきよめられる感じがします。

 私は特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、宗教学には興味があるので、海外に行くと必ず教会や寺院をたくさん訪れます。ヨーロッパでは、日曜日にカトリックのミサやプロテスタントの礼拝に後ろの方の席に座って、ちゃっかり参加させてもらったりしたものです。

 なかでもとても印象的だったのは、オランダで黒人系教会の礼拝に出たことです。礼拝は歌に始まり、歌に終わるといった感じで、最後には近くの人とハグし合うというもの。このときは、本当にまわりの人たちのパワーに圧倒されされましたね。今思えば、このときの経験が6年ぐらいのちにゴスペルクワイアに参加する伏線になっていたのかも!?と思ったりします。

 それからあとは、ドイツ人の修道女、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(ユリウス暦1098~1179)にとても興味をもっていたときのこと。彼女が設立したライン川近くの修道院で、同じく彼女の作曲した宗教曲(グレゴリア聖歌のようなチャント)を生で聴いたときも、すごく感激したのを覚えています。

 なんだか話がずいぶんとそれてしまいましたが、つらつらと書いたものを振り返ってみると、自分は結局は「歌が好きなだけなんだ」というなのかも!?と、思えてきたりもしました。(笑) 最近忘れがちだったけれど、そういえば、大学では歌を専攻していたのでしたっけ。

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 話を戻して、合同礼拝の最後はRobertさんというスラウェシ島マナド出身の男性(ギターを弾いている人)が作曲した、ロック調の賛美歌が披露されました。ジャンベのビートが印象的なカッコいい曲で、後で聞いたら歌詞はヘブライ語だったのだそうです。とっても素敵な演奏でした。

 礼拝のあとは、日本とインドネシアの国際交流・料理編といった感じで、おいしいお料理をたくさんいただきました。インドネシアの方たちともたくさんお話しできて、とても楽しかった~!まるでインドネシアにいるみたいで、うれしかったです。
by emispiral | 2010-02-26 16:34 | インドネシア語 | Comments(0)
 先日このブログで、インドネシア語講座で誰も目標を一つ選んで、1年間経過をシェアし合うということを書きました。その後、それぞれの受講者の方々が今年の目標を決めて、今年もこのレッスンがスタートいたしました。
 
 私はというと、いくつかある今年達成したいことの中で、「マラソン大会(10Kmの部)に出場する。そのために1週間に2回練習する」ということに決めました。インドネシア語で言うと、こんなふうになります。

 Target tahun 2010 saya adalah mengikuti lomba marathon (tarik 10Km) dan melakukan latihan 2 kali seminggu.

 ここ何年もしばらく走っていないので、少しずつ練習する距離を増やしていくつもりです。今のところは月の数プラス1Km、つまり今月は3Kmを走っています。

 実を言うと・・・こんなふうにブログに書くことで、自分へのプレッシャーにしようという魂胆です。(笑) 寒いのが苦手なので今はインドアで走っていますが、これまではとりあえず順調。またそのうち、経過をご報告いたします。
by emispiral | 2010-02-06 17:23 | インドネシア語 | Comments(0)
 先月、間もなく2度目のインドネシア旅行(バリ&ジョグジャカルタ)を控えている水戸市在住のMさんから、「インドネシア語を教えてもらえませんか」と問い合わせをいただきました。それから程なくして、同行のお友達Hさんと2人のための短期インドネシア語講座が始まりました。

 お2人にとってこれまでのバリ旅行は、バリにアトリエを構える織物の先生に同行するスタイル。すべてオーガナイズしてもらい、食事の注文すらしたことがなかったとのことでした。今回も同じパターンではあるのですが、「少しでも自分たちで行動したい!」という思いから、途中グループから離れて2人だけでジャワ島のジョグジャカルタへ行ってみようということになったとか。ボロブドゥール遺跡が見たいという強い思いに裏付けられているとは言え、すごい勇気です。

c0030327_15532355.jpg 先週の第1回目は、インドネシア語の読み方・基本文法などの概論と簡単な挨拶。今週の第2回目は、さまざまな場面における簡単なフレーズを練習。

 初めは「本当に話せるようになるのかな~」と疑心暗鬼だったお2人も、2回目にはこれまで習ったことを応用して受け答えが少しずつできるようになり、ちょっと手ごたえを感じてもらえたような気がしました。 また2人とも習った言葉やフレーズを覚えられないことを気にされているようでしたが、全部覚えきらなくとも大丈夫と私は思っています。一度基本の部分を”インストール”しておくだけで、旅の途中にどんどん言葉が入ってくるはずだからです。

 出発まで残された授業はあと1回。最終回は、食事や買い物の場面での会話の実践です。値段交渉の仕方も念入りにするつもり。私としては、「これだけ最低押さえておけば大丈夫」というところまでなんとか到達してもらった上で、インドネシアに送り出したいと思っています。現地の言葉が話せるのと話せないのでは、旅の楽しみが何倍も違ってきますからね。
by emispiral | 2009-06-05 15:56 | インドネシア語 | Comments(0)

歓迎レセプションの通訳

 先日、インドネシア語通訳の仕事でつくばに行ってきました。人工衛星からの画像データを利用した火山監視技術の研修に来た、18人のインドネシア人技術者を歓迎するレセプションでの通訳です。

 実はこのところ、火山や人工衛星などに関するインドネシア語の専門用語を勉強したり、今回の研修のスポンサーである財団の方のスピーチを翻訳したりと、かなりインドネシア語濃度!?の高い日々を過ごしていました。それで、心の中で話す言葉もインドネシア語と化してきてしまっていて、自分でもよく可笑しくなったりしていました。「あ~、もう8時になっちゃった」というような心の中の呟きが、思わずインドネシア語で出てきてしまうという訳です。

 私にとって科学技術関係の通訳は初めてだったので、緊張と楽しみな気持ちが入り混じった感じで当日を迎えました。でも、実際は来日したインドネシア技術者の方々はみな英語がとても堪能だったため、私は乾杯のスピーチ(翻訳したもの)を、日本語に付いて読み上げたぐらいで、あとはインドネシア人の技術者の方々やインドネシア大使館の方、また日本の財団の方々と楽しくお話しさせてもらった感じでした。

 それから今回勉強になったなあと思ったのは、日本の海外への技術援助が実際のところどんな形で行われているのかということがよく分かったことです。もちろん様々な形がある中のひとつではあると思うのですが、今回のプロジェクトはスポンサーになってお金を出す財団法人、実際に技術を教える財団法人、そして彼らの研修をコーディネートする社団法人という三者の協力関係で成り立っています。

 コーディネートをしていたのはJISTECつくば事務所の様々な国籍(日本・スウェーデン・中国)の女性たち4人。みなさん日本語も英語も堪能で、レセプションを成功させるため、そして研修生が快適に過ごせるようにと、様々なところに気を配っていらして、すてきなお仕事だなあと思いました。

 という感じで、私にとってはいろんな意味でたいへん刺激的な一日でした。そしてまだいつか分からないけれど、次の通訳のお仕事のためにこれからもインドネシア語の力をもっともっとつけていきたいと思いました。
by emispiral | 2008-10-20 22:24 | インドネシア語 | Comments(0)
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 先日、久しぶりにひたちなか市の中島正周さん(89歳)を訪ねました。彼のことはずうっと以前もこのブログに書いたことがありますが、幼少時から20代の初めまでインドネシアで過ごし、インドネシアの独立をはじめ、戦後の復興など様々な形でインドネシアの発展に貢献されてきた方です。

 今回は、インドネシア人の若者3人と一緒に伺ったのですが、スカルノ元大統領をはじめ、彼の口から出てくる要人の名前の数々に、留学生の3人は目を白黒させていました。いろいろとお話が進むうちに、中島さんが発案し、脚本の制作から、現地での撮影にまで関わったという映画「ムルデカ 17805」のビデオを観ることになりました。

 ムルデカというのは、インドネシア語で、独立という意味。インドネシアは、オランダによる約350年にわたる植民地支配のあと、3年半ほど日本の占領を受けました。やがて日本軍が敗戦とともに撤退した後、再び舞い戻ってきたオランダ・イギリス軍とインドネシア軍との間で、独立のための戦争がありました。そのときにインドネシアに残っていた多くの日本兵がインドネシア側について戦い、最後にはインドネシアは勝利して独立を成し遂げます。この映画は、日本のインドネシア占領のあたりから始まって、インドネシアの独立までの戦いを描いたものです。中島さんによると、すべて実話なんだそうです。

 私はこの映画を観るまで、350年にもわたって統治してきたオランダを、日本軍が実際のところどうやって追いやったのか、全く知りませんでした。そのいきさつは、こんなふうです。ジャワ島に上陸した日本軍の中で、まだ20代前半のある青年中尉が上官の許可も得ずに、一人の日本人通訳を連れて、単身オランダ軍司令部に乗り込みます。そして彼は、「日本軍はもうオランダ軍を包囲している」と言って、無条件降伏を迫るのです。(中島さんによると、これはハッタリで、実は全く包囲していなかったとのこと。)結局、オランダはこの若い日本人中尉のハッタリにまんまとだまされて、インドネシアの統治権をすんなりと日本軍の手に譲りました。

 この中尉と通訳という2人の若者が、オランダ軍司令部で武器を四方から突き付けられつつもひるまずに堂々としているシーンは、とても胸に来るところがありました。そのシーンで私が中島さんを振り返って、「ひょっとして、この通訳は、中島さんご自身ですか?」と聞くと、「そうですよ」と中島さんはにこにこなさっていて・・・。ここにいらっしゃる中島さんが歴史のターニングポイントを作った方なんだということが分かって、心が震えてくるようでした。

 そのようないきさつで日本が占領を始めた直後、中尉や中島さんたちは、青年道場というインドネシア青年の訓練機関を立ち上げ、インドネシアが自分たちで独立を勝ち取ることができるよう人材の育成にエネルギーを傾けていきました。やがて、日本軍軍司令部からは反目されるようになってしまうのですけれど、それでも彼らは最後まで志を貫き通したのでした。「資源の宝庫であるインドネシアを食い物にしようとしたのが日本軍の上層部の考えだったんだけど、私たちはインドネシアにのめり込んじゃったんですよ」と中島さんが話してくれました。

 話は飛びますが、激しい戦闘の末、多くの犠牲を払いつつもインドネシアが独立を勝ち取った最後のシーンは、泣けて泣けて仕方がありませんでした。戦争にまつわる話を読んだり、映画を観たりすると、今の平和な社会は本当にたくさんの方の犠牲の上に成り立っているのだということを痛感します。そして私たちの属するアジアがどのような道を進んできたのかを、もっともっとよく知らなければ、と思いました。

 
by emispiral | 2008-10-15 00:33 | インドネシア語 | Comments(2)
 言葉は使わないでいると、どんどん忘れていってしまうもの。そこで、今はインドネシア人留学生のSさんにインドネシア語の個人レッスンをお願いしています。

 まず毎回自分に課しているのは、インドネシア語でノートに2ページほど作文を書いて行くということ。その都度何を書こうかなと迷ったりしますが、書き出すと言葉が出てくるのが楽しくて、いつのまにか夢中になってしまいます。そういえばジャカルタに留学していたときも、数ある授業の中で作文が一番好きな時間でした。先生が好きだったせいもありましたけれど。

 さて、作文を書いて行ってSさんに見せると、添削されるところもたくさん。でも「上手!インドネシア語っぽい。」と言ってもらえたときには、もう手放しでうれしくて。あとはそのトピックに関係することをあれこれ話したり、私がインターネットで見つけたインドネシアの記事について話したり・・・そうこうするうちに1時間半ぐらいがあっという間に過ぎてしまいます。Sさんは、私より少し年下のとても知的な女性。お話ししていると、本当に勉強になるので、毎回の授業がとても楽しみです。

 ちょっと話は変わりますが、私はこれまでいろいろな語学をかじってきて、人と言語の間にも相性があると感じています。そしてこの相性の背景には、感覚的にその言語の語感が好きということも含めて、いろいろな要素がありそうです。その辺のところは、よく分からないけれどとても面白いなあと思っています。

 私はどうやらインドネシア語との相性が良いようですが、2度ほど訪れたタイの言葉は全く習う気になりませんでした。この違いはなんなのか、自分でも不思議です。あとは英語とオランダ語も相性が良いかなあという感じがしています。そういう相性の良い言葉とは、長~く付き合って行けそうな気がするので、言葉を学ぶ楽しみを懐に暖めている感じがあって、これは結構ラッキーなことだなあと思っています。

 
by emispiral | 2008-09-15 18:25 | インドネシア語 | Comments(2)
 週1回のインドネシア講座では、最後の10~15分に受講生(5人)と私がローテーションでインドネシアに関係することを調べてきて、紹介するという時間を設けています。これまではテーマは全くの自由だったのですが、今年からインドネシアの行政区・27州を1つずつ紹介していって、最後には全部の州を網羅しようということを始めました。
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                       (クリックすると少し拡大します。)

 インドネシアは、ジャワ島とバリ島が主に観光地として有名ですが、実際は多くの島にまたがる多民族国家(250~300民族といわれる)です。主要な島は、ジャワ島、スマトラ島、カリマンタン島の一部(マレーシアではボルネオ島という)、スラウェシ島、ニューギニア島の一部、バリ島など。そしてその他の無数にある小さな島々から成り立っています。

 私は留学や旅行で、合計すると2年弱ぐらいインドネシアに滞在した計算になりますが、それでもジャワ島の各地とバリ島、そしてスマトラ島のパダン地方ぐらいしか行ったことがありません。まだまだ知らないことや行ってみたい場所がいっぱいです。

 昨日は受講生の一人、Rさんがスマトラ島のジャンビ州のことを紹介してくださいました。一口に「各州について関係のあること何でも」といっても、どういうことを取り上げてどんな切り口で紹介するかというところにその人らしさが出て来ますね。ジャンビ州について初めて聞く興味深い内容もさることながら、Rさんの細やかなリサーチの様子が垣間見えて、とても勉強になりました。自分にないものには、はっとさせられる感じがありますものね。

 これからも6人のいろんな個性で、残り23州を巡っていきます。
by emispiral | 2008-03-18 12:22 | インドネシア語 | Comments(0)
c0030327_21475455.jpg1月の最初のクラスでのこと。
2008年にかなったらいいなあということを紙に書き出して、インドネシア語で言ってもらいました。

願望は字で書いたり、言葉に出して言ったりするとますます実現しやすくなるとか。私もこの通り、たくさん書きましたよ。
by emispiral | 2008-01-22 21:54 | インドネシア語 | Comments(0)
 今日は、週1回のインドネシア語講座の日でした。私が講師をさせていただくようになって、3年ぐらいがたちます。受講しているみなさんは、5人。40代・3人、60代・1人、70代・1人・・・と、講師の私が一番年下です。細かい文法のニュアンスがうまく説明できないときでも、みなさんはとても暖かく見守ってくださっていて、本当にありがたいです。

 授業は私が選んだインドネシア語の歌を歌うことから始まって、次にそれぞれがインドネシア語で1週間のできごとを話します。それから教科書の内容に入って、最後の10分はインドネシアに関するプレゼンテーションを輪番でしてもらっています。いつも思わぬテーマでお話しいただいていて、楽しみな時間です。

 受講者のみなさんは、とてもとても勉強熱心。「インドネシア語に触れていないと忘れちゃうから、宿題を出して!」とせがまれてしまうほどです。私もみなさんの意欲にインスパイアされて、インドネシア語をブラッシュアップするぞ~と、このところ思っています。インドネシア大学(ジャカルタ)のコースを修了してから、もう12年。初心に帰って、文法もボキャブラリーもやり直すぞ!!(・・・と、このブログに書くことで、自分を追い込んでいるつもり。笑)
by emispiral | 2007-07-02 23:10 | インドネシア語 | Comments(0)
 私はインドネシアとのご縁が深いせいもあって、街中を歩いているときに東南アジア人らしき人を見ると、つい「この人はインドネシア人かな?」と観察してしまいます。言葉や雰囲気でインドネシア人だと分かると、今度は「ジャワ人かな?、バリ人かな?、それともスマトラの人かな?」と出身地も予想したりします。インドネシアは、多民族国家なので、顔立ちでもかなり判別できるんです。もちろん個人差はあるけれど、例えばジャワ人は丸顔でソフトな印象、スマトラの人は角ばった顔つきでパワフルな感じなど、一般的な傾向があります。こんなふうに観察はするものの、実際に声をかけることはほとんどないのですけれどね。

 先日中央線に乗っていたときに、頭にイスラム女性独特のヴェールをかぶった女性と5歳ぐらいの男の子が私の隣に座りました。いつもの私の習慣で、「むむ、もしやインドネシア人では?」と思い、彼らの会話に耳をそばだてていると、やはりインドネシア語を話している模様。私はうれしくなって、その女性に声をかけてみることにしました。女性だし、子供連れだから安心!と思って。

 「Dari mana?(どちらからですか)」
私の声に彼女はとてもびっくりして、こちらがインドネシア語で聞いているのにもかかわらず、思わず日本語で
 「インドネシアからです」
と答えました。(笑) 20代の最後ぐらいかな?本当にかわいらしい方です。

 それからいろいろ話していくと、彼女は夫の大学と仕事のために日本に来て、もう6年になるとのこと。お茶目な感じの息子さんは日本で生まれて、今は日本の幼稚園に行っているのだそうです。彼女の出身はジャカルタ。私がホームステイしていた場所とあまり遠くないことも分かり、しばし2人でもりあがりました。

 さて、お母さんとインドネシア語で話す私をじっと見ていたその男の子は、私がインドネシア語を話しているのが不思議でしょうがない様子。目的の駅に着いて降りていくときに、私の顔を振り返って見ながら、「あの人、日本人なの?」とお母さんに日本語で何度も聞いていました。あまりインドネシア語を話す日本人に会ったことがなかったのでしょうね。

 電車の中の、ちょっとわくわくするひとときでした。
by emispiral | 2006-07-11 11:58 | インドネシア語 | Comments(2)