水戸 恵藍舎だより


by emispiral

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 今年の冬は、いろんな子どもたちとろうそく作りをしました。作業に夢中になると、全く時間を超えてしまうような感覚が生まれます。そうして理屈抜きに心からわくわくする時間は、体の一つ一つの細胞、ひいては生き生きとした感性のためのご馳走なのです。
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by emispiral | 2005-12-29 22:39 | 子どもクラス
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季節外れにになってしまったけれど、「載せて!」というリクエストがあったので、10月に自遊学校に参加した2人の男の子が撮った写真を紹介します。
 このときは、むかごを採りにすぐそばの林に出かけました。そうしたら、大きなカマキリに遭遇。2人にとって、初めて見るむかごも、大きなお腹のカマキリもわくわくする存在。写真にたくさん撮りたいという気持ち、本当によく分かります。で、このとき2人はたくさんたくさん写真を撮ったのでした。(むかごは森田哲平くん、カマキリは大西明良くんの撮影)
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by emispiral | 2005-12-29 22:27 | 自遊学校レポート(アーカイブ)
 太陽の誕生日と呼ばれる冬至を過ぎて、今、光は生まれたばかりの初々しさを放っています。そうしてこの光がこれから夏至の日に向かって、少しずつ少しずつ強くなっていくのを感じていたいなと思います。
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 これは、友人からもらった「魔法の石」。透明な光を集めて光の絵を描き、そうして自らもいろんな色に輝きます。
by emispiral | 2005-12-26 08:32 | らせん式日記
 私の家の前に150坪ほどの空き地があります。林に隣接しているため、風に吹かれた枯葉が一面に落ちて、まるでベージュのじゅうたんを敷いたようです。私はよくその空き地で子どもたちと走り回ったりするのですが、枯葉を踏みしめるうれしさというものを、最近強く感じています。
 道や庭に落ちた枯葉はどこでもとてもきれいに掃き清められ、もちろんそれはそれで冬の風物詩なのですが、枯葉をしゃりしゃり踏むという感覚も捨てがたい冬の愉しみです。そういった意味で、枯葉がそのままにしておいてもらえるこの空き地は、とっても貴重なものだと思っています。冬の透明な光は、実は枯葉ととっても相性がいいのです。
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by emispiral | 2005-12-19 14:59 | らせん式日記
 野焼きワークショップの紹介も、これで最後になります。
 陶器を冷ましている間に、私のファシリテートでネイチャーワークをしました。大人と子どもごちゃまぜで2~3人のグループを作り、その場にある自然のものを使ってオブジェを作るというもの。どのグループも大人と子どもが対等な感じで、夢中になってアイディアを出し合っている様子。私はその様子を見ていて、とってもうれしい気持ちでした。
 終わったら、それぞれのグループの作品をみんなで回って、鑑賞会。「なるほど!」と思わず声が出てしまうような作品名ばかりだったのですが、メモをしなかったので忘れてしまいました。ごめんなさい。参加者の中でもしこのブログを見ている方がいたら、どうぞ教えてください。
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 「自然の中の何を活かそう?」。そういった思いでまわりを見ると、すてきな色や形にあふれているのに気づきます。そうして、いつでも私たちの思いに応えようとしてくれているらしい。そんな感想を持ちました。
by emispiral | 2005-12-12 22:38 | ワークショップ
 陶器を焼く炎の傍らで、高野さんの用意してくださった食べものの燻製をしました。前の文章の中で「火の力」のことを書きましたが、「煙の力」もかなりすごいです。煙にいぶされたゆで卵、棒状のチーズ、ブロックのベーコン、ししゃものおいしかったこと!
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  昔から燻製された食品が大好きでも、私は今までそれがどうやってできるのか想像したこともありませんでした。でも、こうやって実際のプロセスを見てみると、燻製食品というものが単なる「よく分からないけどおいしいもの」ではなくて、「煙の力でおいしくなったコ」などと、とても近しく感じてしまうから不思議です。自分の感じ方に奥行きが増すとでもいいましょうか。そうしてもしかすると、このことはいろんなことに当てはまるのかもしれませんね。ひとつのものができあがるプロセスをたくさん見ること、もしくはかかわってみることで、私たちの内面は深みを増すのだろうなあと思います。
by emispiral | 2005-12-08 14:36 | ワークショップ
 みなさん、ご無沙汰しました! 今日からまた頻繁にアップして行きますので、どうぞよろしくお願いします。さてだいぶ前のこととなりましたが、11月12日(土)に笠間市で行った野焼きワークショップのことを書きます。
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 私たちの毎日の暮らしの中で、リアルな火というものと触れることがなくなって久しくなります。ガスコンロや石油ストーブといった間接的な火とともにはあるけれど、どこか本質的な火とは遠い感じ。便利さを追求する中で見失っているリアルな火の存在感というものと出合う、そんな一日であったらと思いました。
 
 まず、火の近くに陶器を置いて、ゆっくりと暖めます。少し離れていても、その暖かさは空気をつたって伝わるんですね。
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 暖まってきたら、少しずつ距離を縮めていきます。土が火に寄り添っていくと、互いの温度がだんだん近くなります。
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 そんな中、手持ち無沙汰な様子の子どもたちに、「子ども焚き火」を提案しました。なかなか火がつかず、子どもたちはあの手この手で悪戦苦闘。見ている私は、「こうやればいいのに!」と思っても、その言葉をぐっと飲み込んで子どもたちの奇想天外なアイディアを面白おかしく見ていました。それでも、ちょっとだけ手を出してしまったら、とたんに「大人はやらないで!」と怒られてしまって・・・。そうそう、火がつくかどうかは二の次。それより、いろいろ考えてあれこれやってみることが大事なのです。そうやって、自分で考えてやってみようと思えること、これこそ私がいつも子どもたちに育てていって欲しいと思っている力のひとつです。
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 彼らが試行錯誤する姿を見ているのは、本当にうれしかったです。もちろん、「子ども焚き火」は、点いたり消えたりしながら、最後にはちゃんと大きな炎になりました! 


 一方、陶器の方はますます火と近くなって、手ではさわれないくらいに熱くなりました。そうして炎によって様々な色に変化していきます。
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 火によってじっくりと土が変容していくプロセスは、ただ見ているだけで深く心動かされる感じがしました。
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 最後に薪をかぶせて、陶器を大きな炎で包みます。陶器と火とが一体となり、ゆっくりと暖めてきたものが一気に化学反応を起こして、別のものに変容する瞬間。
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 そうしてすべてのプロセスを経た陶器を、空気の中でゆっくりと冷ましていきます。これは高野さんの作品。火のプロセスを通り抜けたあとは、まるで魂が入ったみたいに存在感を増しています。
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 火の力、それは人間の深い意識の部分、もしくは魂と呼ばれるような領域にダイレクトに結びついているような気がしました。本物の火に触れることによって、私たちは深いところに眠っている自分とアクセスすることができるのかもしれません。火と出合う1日を過ごす間に、私はそんなことを考えていました。

 最後に、陶芸家の高野利明さん、奥様の根本比奈子さん、参加してくださったみなさん、どうもありがとうございました。
 
 
by emispiral | 2005-12-06 10:55 | ワークショップ