らせん式日記・163 「鎌田東二の聖地歩行」に参加する

 NPO東京自由大学の主催するアートワークショップ「鎌田東二の聖地歩行 浅草編」に参加しました。 鎌田東二先生は、京都大学こころの未来研究センターの教授をされていることをはじめ、他には細野晴臣さんたちとともにサルタヒコ・フォーラムを主催したりするなど、さまざまな活動をされている方。私は20代のときから彼の著作に触れてきていたので、初めてお会いできるのをとっても楽しみにしていました。

 まずは神田にあるNPO東京自由大学(神田)に集合して鎌田先生のお話を聞いてから、上野を目指して出発。今回のワークショップは、歩行(ほぎょう→歩く行)ですから、神田~秋葉原~上野~浅草とすべて歩いて回ります。地図で見ると長く感じましたが、歩いてみると神田から上野まではそんなに時間はかからないんですね。

らせん式日記・163 「鎌田東二の聖地歩行」に参加する_c0030327_17454314.jpg まずは上野の不忍池の真ん中にある弁天様へ。この上野公園一体は、徳川家康に重用された比叡山延暦寺の第53世貫主・天海僧正プロデュースの一大プロジェクトであったそうです。そしてこの天海僧正の計画は、京都に比叡山があるように、江戸にとっての比叡山を上野に作ることだったとか。そうして現在の上野公園の全域を寛永寺(またの名を東叡山)として整備しました。不忍池は琵琶湖を模して作ったもので、その中央の中島は琵琶湖の真ん中に浮かぶ竹生島のコピー。そういえば竹生島にも弁天様があったのを思い出しました。

 また比叡山は京都から見ると鬼門(北東)の方角にあることから、京の都を守る意味もあったり、学術のメッカでもあったりしました。上野も確かに江戸城から見ると鬼門の方角ですし、現在もお寺や博物館や東京芸術大学があったりして文京地区になっているんですね。そんなふうに上野を見たことがなかったので、びっくりでした。


らせん式日記・163 「鎌田東二の聖地歩行」に参加する_c0030327_1813581.jpg 次に向かったのは、上野動物園に隣接する上野東照宮。広大な寛永寺の境内にある、徳川家康・吉宗・慶喜を祭った神社です。(そういえば、討幕軍との戦いの最中に大阪から逃げ帰った慶喜が謹慎したのは、寛永寺でした) 建物は日光東照宮ほど豪華絢爛ではありませんが、拝殿の様式は、畳から一段下がったところに座ってお参りするという同じスタイル。日光の方も天海僧正の事業だったのですから、自然なことですね。そして、日光も江戸の鬼門にあたるというのがすごいところ。そうやって江戸を守っていくというのが天海僧正のスケールの大きいプロジェクトだったようです。

 この後、みなさんは浅草へと向かったのですが、私は残念ながら用事があって上野までで失礼しました。それでも憧れの鎌田先生と写真も撮っていただいたし、また街を見る新たな視点をいただいたしで、大満足して帰りました。
by emispiral | 2008-11-19 18:53 | らせん式日記

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