らせん式日記・167 ジャズピアニスト・山崎光一さんのこと

 水戸市内で一番好きなラーメン屋さんが自宅から数キロのところにあります。女性の店主がとても丁寧にやっている感じのお店で、カウンターに座ったときにはその女性とちょっと言葉を交わしたりします。差し障りないことを話していても、なんだか親近感を覚える感じで、1人でも安心して入れる雰囲気があります。

 ある友達にこのラーメン屋さんを紹介したら、その友達が言うには、彼女は以前水戸の繁華街でジャズバーを経営していた方だとのこと。そのバーは経営者が変わった今でも同じ場所にあって、もう20年以上も前に亡くなったピアニスト・山崎光一さんが弾いていたお店なのでした。この山崎さんは、私が高校1年生のときにジャズピアノを教わっていた先生で、レッスンを受けるようになってから1年ぐらいして病気で亡くなりました。山崎さんが亡くなってからは、私は再びジャズの勉強をする気になれなくて、それ以来ずっとジャズからは離れてしまっています。

 そんな訳で、いつかその女性店主の方に山崎さんのことをご存知かどうか聞いてみたいと思っていたのですが、お店が混んでいたり、タイミングが合わなかったりで、なかなか口に出すチャンスがないまま、数ヶ月が過ぎていました。ところが、先日やっとその日が来て、彼女に山崎さんのことを話しました。すると彼女は満面の笑みになって、
「山ちゃんのことは、今でも毎日祈っていますよ。20年以上たつけど、1日も忘れたことはないですね」
と。それから、山崎さんの思い出話をとてもなつかしそうに話してくれました。
「いつもニコニコして、誰にでもやさしくて、本当にいいヤツでした。私たち、毎晩のように一緒に遊んでました・・・」
  
 そしてひとしきり山崎さんの話で盛り上がったあと、ふと彼女が天井の方を指しながら、
「今頃、山ちゃんがその辺で私たちのことを見ていそうな感じ」
と言ったとき、私までなんだかそんな気になったのでした。

 また私たち2人が、ともに山崎さんのお葬式に参列していたというのも、本当に不思議なご縁だなあと思いました。そして、彼女に感じていた親近感というのは、この山崎さんのことがあったからに違いないと感じました。

 山崎さんが亡くなったのは、彼がまだたった38歳のときだったというのも、今回改めて分かったこと。今ではもう、私が彼の歳を越えてしまっているのだ・・・と感慨深かったです。山崎さんがお元気な頃、私が高校1年生でなくてせめて大学生だったら、もう少し大人っぽい遊び方もできて、山崎さんや彼女たちの仲間に混ぜてもらえたかも・・・と少しだけ残念な気がしました。でもまあ、やっぱりこれでよかったのかも・・・と思ったり。いい夜でした。
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by emispiral | 2009-04-14 18:39 | らせん式日記

水戸 恵藍舎だより


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