らせん式日記・191 手で鉛筆を削る 

 今年も高専の授業が始まりました。私は、1年生5クラスの美術を担当しています。

 毎年、最初の授業は、デッサンのための鉛筆(4B)をカッターで削ること。デッサンしやすいように芯を長く出すためには、鉛筆削りではうまくいかないからです。

 「カッターやナイフで鉛筆を削ったことがない人?」と聞くと、3分の1ぐらい手が上がります。意外とやったことある子がいるんだなあと思って、実際に削り出すと、多くの学生の手元がとっても危なっかしい。慣れていないのだから仕方がないのだけれど、とっても大変そうな子が圧倒的に多い。

 今は電動鉛筆削りがあるのだし、しかもたいていはシャーペンを使っているのだから、鉛筆をカッターで削れなくたって、ちっとも困らない・・・というのは全くその通りなのですが、私はどうも鉛筆を削ることというのは学問の基本のような気がするんです。それは書道における、「墨をすること」のように。

 普段は便利だから墨汁を使うけれど、ここぞというときは一から墨をするという境地も知っている・・・というふうに、便利さを否定するわけではないけれど、でも本質は知っていたい(知っていてほしい)というのが私の願うところです。

 だから同じように鉛筆についても、普段はシャーペンを使っていても、たまたま鉛筆しかなければ、カッターでさっと削って使える・・・というような子どもっていいなあと思います。そして、そういう子が生きる力のある子だと思うのです。

 高専の学生には、「これから世界がどうなっちゃうか分からないんだから、男の子はそこらへんの棒をナイフでささっととがらせて杭を作るぐらいの技を身に付けておかないと!」と、話しました。(高専では、1クラス44人中、男子が38~9人)

 男性は一般的に狩猟本能をもっていると言われています。そして槍の先をとがらす作業というのも、この狩猟本能に密接に結びついた男性の本能の一つのような気がします。大昔、ヒトが狩りを始めたときから男性がしてきたことですからね。DNAの中に、きっとその記憶があるはずなのです。

 草食系男子と呼ばれる若者が多いと言われる昨今。ひょっとすると鉛筆をカッターで削るということで、狩猟を生業としていた頃の彼らのDNAの記憶が甦ったりして・・・と思うのは考えすぎでしょうか。

 
by emispiral | 2010-04-15 22:53 | らせん式日記

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