インドネシアと日本の間で ~中島正周さんを訪ねる

 ひたちなか市津田にお住まいの中島正周さんを訪ねました。これまで日本とインドネシアの架け橋として、数々の事業に関わって来られた中島さんは、日イ関係における坂本龍馬的存在とお見受けしました。彼の大胆な生き方の作法は本当にかっこよくて、憧れの
白洲次郎(1902~1985)を彷彿とさせる感じ。
 
 15年前に初めてひたちなかのご自宅でお会いして、その5年後には留学中のジャカルタで。その時は、ちょうど50回目の独立記念式典(終戦50年目)の年でした。そして今回は再び彼のご自宅で、奥様の愛子さん(私のインドネシア語クラスの生徒さんでもあります)とともに、改めてじっくりとお話をうかがうことができました。

 中島さんは、お父様がインドネシアで砂糖工場を経営していた関係で、幼少時からインドネシアで過ごし、現地で第二次世界大戦を迎えました。戦時中はインドネシアを植民地とした日本軍の通訳やインドネシア士官学校の教官として活躍。終戦後も約2千名の日本兵とともにインドネシアに残り、オランダの殖民地支配からの独立戦争のために1949年の主権の恢復までインドネシア軍を指導しともに戦ったというお方です。
 
 そのため、現在のインドネシア国軍幹部はすべてが教え子であり、スカルノ元大統領・スハルト元大統領とは個人的にも交友があったとのこと。またインドネシア大成建設の総責任者として、急成長するインドネシアを支えてきた方でもあります。言葉は、インドネシア語・ジャワ語・オランダ語・英語をお話しになります。

 彼のこれまでのいろんなお話を聞いていくと、そのスケールの大きさに本当に驚いてしまいます。第1次イラク戦争では、日本政府の要請で日本人の人質救出のため、イスラム教徒であるインドネシア人を連れて現地に説得に向かったとか。結果は成功。ただし表向きはある政治家の手柄ということになったそうです。「そういう仕事は成功したら表に出ないけど、失敗したら表に出るんですよ。もちろん失敗したことも何度もありますよ。わはは!」本当に豪快です。
 
 また、ある国の首相が亡命する道筋をつけた話、マレーシアの王族から貴族の称号を賜わった話、大成建設時代ビザが下りないことをスカルノ大統領に話したら大統領がじきじきに会社に出向かれた話などなど、スケールの大きい話が次から次へと・・・。

 そしてさらにすごいなあと思ったのは、現在も現役で日イ関係の陰の立役者(坂本龍馬役!?)をされていること。今月15日には、第60回目のインドネシア独立記念式典に出席するためにジャカルタに単身発つそうです。
 
 たくさんの正念場を経験してきた彼が、85歳の御歳で今もなお失敗を恐れずに挑戦し続けている・・・その在りようは、なんとかっこいいのでしょう! 彼に比べたら、30代の私はまだまだひよっこもいいところ。「失敗を恐れないで、どんどんやってみることですよ」。経験に基づくその言葉が、本当に心にしみました。そして「失敗したっていいんだ・・・」と思うと、ささやかな夢の実現に向けて、俄然勇気がわいてくるのでした。

 
by emispiral | 2005-08-13 02:14 | インドネシア語

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