らせん式日記・151 立秋を過ぎると
2008年 08月 25日
週末はお茶のお稽古がありました。
昨年の夏に初めて実感したのですが、同じ茶室で同じようにお茶を立てていても、7月は意識と体がどうもうまく連動しない感じで、いつもできることができなくなってしまうようなのです。それは、茶杓(抹茶をすくう竹製の匙)の置き方が一度でぴたりと決まらないとか、その程度のことなのですけれど。
感覚から言うと、それはどうも「気温が高いせい」というのとは別の、何か天地のエネルギーのようなものの影響を受けて意識が体の外でふわふわと漂っているような、そんな感じなのです。
それが立秋(今年は8月7日)を過ぎると、意識が体の中に納まってくる感覚があって、ぐんと集中しやすくなってきます。立秋後初めての先日のお稽古では、今年もまた同じように感じたので、去年思ったのと同じだ!と確信を得ました。
静かで細やかな波動をもった空間では、こちらの感覚も澄んで、いろんなことを感じやすくなるようです。改めて茶道は、想像を超えてすごいものなのだと思いました。
昨年の夏に初めて実感したのですが、同じ茶室で同じようにお茶を立てていても、7月は意識と体がどうもうまく連動しない感じで、いつもできることができなくなってしまうようなのです。それは、茶杓(抹茶をすくう竹製の匙)の置き方が一度でぴたりと決まらないとか、その程度のことなのですけれど。
感覚から言うと、それはどうも「気温が高いせい」というのとは別の、何か天地のエネルギーのようなものの影響を受けて意識が体の外でふわふわと漂っているような、そんな感じなのです。
それが立秋(今年は8月7日)を過ぎると、意識が体の中に納まってくる感覚があって、ぐんと集中しやすくなってきます。立秋後初めての先日のお稽古では、今年もまた同じように感じたので、去年思ったのと同じだ!と確信を得ました。
静かで細やかな波動をもった空間では、こちらの感覚も澄んで、いろんなことを感じやすくなるようです。改めて茶道は、想像を超えてすごいものなのだと思いました。
by emispiral
| 2008-08-25 23:11
| らせん式日記